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哲学が救うもの

哲学が救うもの

病気であっても不幸でも、何か異なる世界が見えるかもしれません。

中島義道「後悔と自責の哲学」から非常に長い引用をお許し願いたいと思います。

以下、上記書籍からの引用です。

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「成田空港でのこと。五歳くらいの男の子が、なぜかというほど母親に甘えて、座っているときもこすりつけるように母親にからだをぴったり寄せている。私は、ああ甘えん坊だなあ、というくらいの気持ちでしか見ていなかった。母親が椅子から立ち上がると、彼もまた彼女のからだを支えるようにして立ち上がる。だが、その直後、彼は母親のもとを離れてレストランを駆け回り出した。母親が怒鳴りつけている。教育のなっていない子だなあと私は不快に思った。母親が彼の名前を呼び続ける。でも、彼は遠くから「やーい」と言ってなかなか戻らない。母親は小さなバッグを手にし、椅子に立てかけてあった白い杖をとって、ゆっくり歩きはじめた。すると、彼が驚くほどの速さで戻ってきて、にこにこ笑いながら母親の手を引いている。母親が頭をぽんとたたく。そうです、彼女は盲人なのでした。そして、その男の子はいつも母親の手を引く仕事をしていたのです。思わず涙が出そうになった。その仕事を当然のように遂行する彼のけなげさ、そして彼の無邪気な「いたずら」。私は衝撃に近いものを感じ、寄り添うように歩いていく彼ら二人の後ろ姿から目が離せませんでした。

 こういう場合、言葉は力を失います。私はそのときの感情は断じて「哀れみ」ではない。むしろ、いきなり背中からビシッと痛棒を受けたような、さわやかなしかし重たい感情です。もちろん、彼らが不幸であると決めつけることはできない。しかし、私は彼らに対して後ろめたいもの、「恥」とも言えるものを感じ、眼の見える自分に対して激しい自責の念を覚えた。自責の念を覚えなければならないと確信したのです。

 目の見えない人が不幸だとは断定できない。それは百万回繰り返してもいい。しかし、私は眼が見えなくなったら、生きていけないほど叩きのめされる、自分がそういう弱い人間であることを自覚している。そんな私にとって、盲目であることを自然に受け入れているあの親子は崇高にみえました。私は - イエスのように - 彼女の眼に光を取り戻してあげることはできない。彼女の苦しみを知るために(共に苦しむために)自分も盲目になることもできない。つまり、私は彼女とその息子に感動しながら、自分を恥じながら、究極のところで彼らに同情(同苦)できない自分を自覚せざるをえない。そんなとき、私にできるせいぜいのことは、自分のからだに、奥深く到するまで自責の針を打ち込むことだけなのです。

・・・中略・・・

 この世界には苦しみにあえぐ人がいて、その人がなぜそのような苦しみに遭っているのか、そしてさしあたり私がなぜ遭っていないのか、まったくわからないことをいっさいのい理由づけを拒否し、しかもそのことに真摯に(プラトンの言葉を借りれば)「驚く(taumazein)」とすれば、彼らに対する自責の念とともに、「なんで、私ではなくこの人か?」という問いがおのずから生まれでてくるのではないでしょうか?

 そして、この問いにこだわり続けること、それが「哲学すること=知を愛すること(philosophein)」にほかならないのです。
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いかがでしょう?

病気であっても不幸でも、「なぜ私に!」から「どうしてあの人に?」への転換、いわば哲学は何か大きな変化をもたらすかもしれません…

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