完璧であるという暗黙の「誤」解
完璧であるという暗黙の「誤」解
診療に従事しているとき、自分自身には完全であるという思いは抱いていないのですが、患者さんの周囲の人たちに対しては「完璧である」との暗黙の思い込みがあることに気がつきました。
特段、問題がない普通の家族や訪問看護師さん・ヘルパーさんに、完璧に役割を遂行しているという意味ではなく、接し方において常識的レベルにおいて完全であるとの無意識的前提で考えてしまっているようなのです。
支援に来てもらって何気なく声かけした時に、応答がイキイキしていない、友達感覚のため口になる、時間がずれて到着しても配慮の言葉もないなどの上から目線的サービスの開始などなど、現場で接した者同士でしか感知できない不完全さ(平均的以下で許容できないレベルであるということ)が隠されていることが現実にあるようです。
これは直接の治療者患者関係では生じるものでもありますが、治療者患者関係において生じるこのような問題は、治療者の生活体験における治療者側の未解決の葛藤にも原因があります。
治療者の場合、臨床研修やその後の研鑽の中で、自己分析したりスーパービジョンを受けることで、それに気づき修正する訓練を積んできています。
しかし、現在の訪問看護やヘルパー研修において、自己分析の研鑽を積むことは殆どないのではないでしょうか。
実際の臨床で、これらの自立のための支援を受けている際に、患者さんとサービス提供者の間でトラブルが生じることがときにあります。
患者さん側に問題があるとの情報をサービス提供者側から受け取るのですが、どうも変だ?と思うことも結構あります。
患者さん側に暴言があってトラブルになったとか、しかも患者さん側が自分の言ったことを覚えていないようだとかいう情報が提供され、そうか解離現象や選択的健忘でも生じたか?と一時的にこちらも思ってしまいます。
しかし、実際に面接で患者さんからお話を聞いていると、どうも変だ?と思えてきます。
患者さんの話の方が自分の発言や相手の発言をよく覚えていて具体的なスピーチサンプルを提示できるのです。
また、何度か違う面接時にお聞きしても内容が一貫しているようなのです。
患者さんの話を鵜呑みにするならば、そしてそれを精神科医としての視点で眺めると、サービス提供スタッフが人格的に未熟であったり、自分自身の中に未解決の葛藤があってのトラブル発生であるように思えるのです。
さらに、サービス提供側の管理者が出てきて、問題となった個々のサービス提供スタッフを擁護して、組織防衛的に管理者が感情的に患者さんに反応してしまう事態となることもあります。
どうやら精神科医療の社会的サービス提供者が常識的に完璧であるという暗黙の信念は捨てねばならないようです。
同様に、就労支援サービスについても、その組織自体が通常の歴史ある企業さんのように成熟してはいないようなのです。
訪問サービスや就労支援サービスも事業者がどんどん増えていますが、良質な組織だけが淘汰を免れ、組織やスタッフの成熟度が高まる方向に進むことを期待したいものです…