信じる者は救われる?
信じる者は救われる?
フランクルの著作を読んでいて、
これは志の高みに至らなければ効果を及ぼせないし、
受ける側も効果を得られないと感じました。
心理療法の流派によって、その考えに沿った受け答えと洞察を得るということが調査により分かっているようなのですが、
どの治療流派が優れているということは明確ではないようです。
それぞれの流派により、得意不得意分野があるようなのですが…
例えば、不安障害に対するメタ認知療法。
これはメタ認知療法の正式な教育を受けていない治療者が行っても、
相当の効果が期待できます。
一方で、うつ病に対する精神分析療法は、特に急性期においては禁忌とさえ言えますし、
安定期においても認知行動療法に比較すれば、極めて効率の悪い治療であると思われます。
その認知行動療法さえも、本邦における大家が積極的に強調した認知の再構成は、
これもまた急性期に行うのは難しいようなのです。
フランクルのロゴテラピーに至っては、具体的にどう行うのか、
ロゴテラピーの本を読んでもイメージが湧かないので想像の域を出ませんが、
フランクルの著作を読む限りでは、
よほどこの治療に精通した指導者から直接伝授された治療者でなければ、
患者さんを救うことはできないのではないかと思えてしまうのです。
しかも、本質的に、フランクルの論理に沿って治癒に向かうのは難しく、
フランクルとその直系の弟子に直接治療されていない限りは、
フランクルの論理に沿った治癒の仕方は困難なのではないかと感じる次第です。
創始者と直系の弟子を除いて、
ロゴテラピーにしても精神分析療法にしてもそうなのですが、
治療者と患者さんの信頼関係が、
治療効果をもたらす要因ではないかと思えてなりません。
これらの流派の治癒理論は、科学的に実証されていない、後付けの感想文のようなものであるとさえ感じてしまいます。
その点、認知療法や行動療法、メタ認知療法は科学的な理論に近いと言えるでしょうか。
このように、論理的でなくても治るのは、
正に、信じるものは救われる!という、
信頼関係に基づく、
一所懸命に誠意と関心をしめしてくれる治療者からのポジティブな治療構造、が治癒に導くのではないでしょうか。
そうであるならば、
治療技法より、
治療者の人間としてのあり方が、治療には大切であるということになるでしょう。
しっかり聞いてもらえている!
しっかり時間を取ってもらっている!
と患者さんが感じることが、
治癒に導く要因ではないでしょうか?
私はそう考えて、
それに近づけるよう診療したいものだと常々考えています。
しかし、現実はどうでしょうか?
診察時間という障壁が立ちはだかるのです。
保険診療である限りは、この壁を壊すことができません。
下世話な話ですが、
再来の患者さん全てに1人当たり1時間お時間をとって診察すると、
クリニックを運営維持することが自体ができなくなってしまいます。
特に、都心でテナント料の高い地域ではそうなるでしょう。
精神科に至っては、毎回毎回、血液検査や心理テストをする必要はありませんから、
収益は内科などに比べて格段に少ないのです。
再診の方をお一人1時間で診察(初診の方は1時間以上診察することも稀ではありません)すれば、テナント料はおろか人件費も出せないでしょう。
クリニック自体が維持できずなくなってしまえば、逆に患者さんには大迷惑となります。
こうならず、最低限の収益でクリニックを維持し、
かつ、できるだけ長い時間診察時間を確保できるように、
クリニックの維持経費を少なくするために、
当院では、
超小規模クリニックというあり方を選択しました ^ - ^
点滴や注射など、重症例を診るキャパシティのないのが難点ですが、
今後も、このような運営方針を貫きたいと考えております。
ご意見など色々ご教示いただければ幸いに思います。