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不幸なわたし注意報

不幸なわたし注意報

人の言動や態度に腹がたつとき、自分の心に劣等感とか屈辱といったBGMが流れているのにお気づきですか?

人の心のネガティブな反応には、「不幸なわたし」世界と「駄目なわたし」世界という2つの思考世界があるように思われます。

何れの思考世界も劣等感に根っこがあるようなのですが、行き着く先は大きく違ってきます。

「駄目なわたし」世界は、怒りというより落ち込みに至り、「不幸なわたし」世界に入ってしまうと怒りが生じて、被害的他罰的となってしまうようなのです。

「不幸なわたし」とは、「迫害されるわたし」という意味づけを自分で自分にあたえてしまいます。

そしてその流れでの理由を、無意識に見つけ出そうとしてしまうのです。

不幸なのは、

誰も助けてくれないから

親が大切にしてくれなかったから

友達が納得できない扱いをするから

会社が...社会が...運命が...

一人で悩んでいると、どんどん理由づけが広がっていくこともあります。

そして、困ったことに、

「不幸なわたし」には非常に大きなメリットがあるのです。

つまり、

不幸なわたし

わたしは素晴らしい存在なのに、誰も大切にしてくれない。

わたしは素晴らしいから、誰も大切にしてくれない

わたしが素晴らしいから、みんなわたしに辛く当たる

わたしが素晴らしいから、嫉妬したように意地悪をする

わたしが素晴らしいから、迫害する

わたしは、嫉妬され迫害されるほど素晴らしい存在である
(劣等感の緩和)

わたしは本当に素晴らしい!

わたしは世界に無二の素晴らしい存在である!

やっぱり、わたしは迫害されるほど素晴らしい存在だ!
(屈辱をヒーロー化で緩和)

迫害されるから、わたしが上手くいかなくても仕方がない!

上手くいかないのは、迫害されるからだ!

迫害されて上手くいかないのだから上手くいかないのは、わたしの責任ではない!

「わたし」は悪くないのだから、周囲が「わたし」に対する行動を修正すべきであり、「わたし」の素晴らしさを嫉妬せずに素直に認めて、「わたし」への迫害を止めるべきである!

迫害される限りは、「わたし」は何も改善しない!

「わたし」が努力しても無駄だ!

「わたし」は努力しなくていいのだ!

というように、「自己愛的満足(劣等感や屈辱の不可視化)」と「責任と努力の回避」や「努力しないことへの罪悪感の回避」が得られる結果となってしまうのです。

こうなってしまうと、

自分は素晴らしい存在であるという自己愛的満足が満たされ、しかも、他人が悪いから自分はできないのであって自分はできないことに努力しても無駄であり、努力する責任を持たなくていい、

というように改善のための行動を起こさなくなってしまいます。

そして被害的となればなるほど、

自分は迫害されるほどに「わたし」は価値がある存在だ!

他人が悪いから他人が変わらなければ自分が努力しても変わらない!

他人が変わらなければ努力しても無駄であるから努力しなくていい!

というように、被害的思考の悪循環に嵌まることになってしまいます。

ここまで来てしまうと、もう独力での修正はほとんど不可能となってしまいます。

さあ、こうなる前に「不幸なわたし」の罠に嵌まっていないか自問自答してはいかがでしょうか…

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