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得られるからできない世界

得られるからできない世界

初期仏教でも言われるように、

人は執着するから苦悩が生じるというようなことはままあるようです。

その一方で、執着したから達成できることもよく経験されます。

執着には良い面と悪い面、2つの特性があると言えるのでしょう。

しかし、神様(自然?)はよく考えたもので、

どうしても得られない状況に置かれたとき、

人に諦めるという能力もお与えになったようなのです。

アウシュビッツなどの強制収容所に繋がれ、自由も希望も奪われた中で実存分析やロゴテラピーを創生したフランクル。

筋萎縮性側索硬化症ALSで全身の筋肉の動きを失ったモリー・シュワルツ。

瞼だけしか動かせないけれど、意識も知性も犯されないという閉じ込め症候群LISとなったジャン=ドミニック・ボービー。

これらのどうにもしようがない究極の状況に置かれた人々は、

執着を捨て、自己実現の最終昇華型である自己超越へと、ある意味で到達することができました。

とはいうものの、彼らが、そのような究極の逃れ得ない状況に置かれなければ、

同じ帯域に至ることができたかどうかは疑問ではないかと思うのです。

究極にどうしようもできない状況に置かれたとき、

人はそれまでの自己を超越することができるのだと思います。

しかし、反対に、

できるかも知れない状況の中で、

できるかも知れないことへの執着から逃れるのは、

逃れられない状況の中で執着を手放すことより遥かに難しいかも知れません。

私たちは通常、そのような究極の状況に置かれることは、まずないでしょう。

草木も生えていない岩だらけの無人島で空腹に耐えることは、そうするしかないので1週間くらいは耐えることができるでしょう。

でも、食べ物が豊富にある自宅で1週間断食できる人は殆どいないのではないでしょうか。

食べ物を求めれば得られるような状況の中、

得られても求めず断食を続けられる人には、

宗教的修行を行うときのような、

断食するための強烈な目的が必要です。

メンタル面でいえば、

例えば、強迫性障害の確認行為について、

最良の治療法は暴露反応妨害法でしょうけど、

つまり、確認行為を行わないで我慢すると、確認衝動が時間とともに軽減してやがて生じなくなる(治る)という治療ですが、

確認したいという衝動への執着を諦める必要があると言えるかも知れません。

また、意欲が低下して何もする気が起こらない慢性うつ病の患者さんが、

何もしたくないという欲求に打ち勝って行動をしはじめる、

言い換えれば、

何もしたくないという欲求満足への執着を諦め、

できる些細なことから行動して、行動の活性化に着手しなければよくならないものです。

しかし、

確認はいつでも行えます。

何もしないという選択はいつでも採用できます。

直ぐにできることをしないで諦めるということは、容易にできるものではありません。

特に1人で実行し続けるのは殆ど不可能といっていいでしょう。

ですから、医療機関のチカラを借り、訪問看護やデイケアや就労関連事業所やホームヘルプ事業所のチカラを借りて、

1人では不可能に近いことをリハビリ的にできるようにお手伝いするため、

各種の社会制度(社会資源といいます)を利用するためのコーディネートを行ったり、強迫性障害の行動療法を行っている施設を紹介することも治療の一環であると考え、日々の診療に従事しています。

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