厄介な感情のトリセツ!
厄介な感情のトリセツ!
ネガティブな感情にも意味がある
感情には何らかの私たちが生きていく上で役に立つ意味があります。
感情は動物が生きていく上で役に立つ必要なものなのです。
例えば、
不安。
不安は危機が迫っていることを知らせる役割があります。
不安があるから不安の原因をサーチし、対処法や予防する策を考えることができるのです。
恐怖
恐怖は、危険がさし迫っている状態だということを知らせます。
危険が切迫している状況にあると知ることで逃げるか戦うかの判断ができるのです。
恐怖が大きければ自動的に逃げるという判断になります。
恐怖が小さければ怒りが勝って戦うという判断になるでしょう。
怒り
怒りは戦うために必要になります。
怒りは恐怖や不安を消しさる効果があるので、恐怖や不安に打ち勝って戦うことができるようになるのです。
悲しみ
悲しみは、大切なものを失ったことを知らせる感情です。
大切な人やモノを失った時に自動的に生じて、落ち込みへ至る準備状態を作る役割があるのだともいえる感情です。
落ち込み
落ち込みは失ったものへの受け入れを完成させる役割があります。
落ち込むことで失ったものへの“喪の作業”という受容に至るための心のプロセスに専念することができるのです。
落ち込めば失ったものに関係することに心が囚われ、失ったもの以外への関心や思考が抑制されます。
失ったものに心が占領されることで、失ったということを受け入れられるようになっていくのです。
感情は味方にすべき
先に書いたように、ネガティブな感情にも意味があります。
その意味を活かすようにすべきでしょう。
わたし達は、大抵は生じた感情に飲み込まれてしまいます。
しかし、ネガティブな感情に飲み込まれてしまうと、そのネガティブな感情の原因となった事柄への適切な対処ができなくなってしまうのです。
飲み込まれやすい怒りと不安
最も飲み込まれやすい感情は、怒りと不安でしょう。
先に書いたように、怒りは自分に害を与えようとしている者へと戦う為に必要なものです。
怒りという感情に飲み込まれずに、勝てるだろうか?負けたらどんなひどい目にあわされるだろうか?などと考えるようでは、相手に不意をつかれて勝てる相手にも負けてしまうかも知れません。
怒りに飲み込まれることで、どのような相手にも向かっていくことができるのです。
太古の昔なら、それはそれで良かったのかも知れません。
けれど現代の文明社会では、怒りに任せて行動してもいいことはありません。
怒りに飲み込まれて行動していては、信頼関係を築くことができないのです。
不安についても同じようなことが言えます。
不安という感情に飲み込まれてしまうと、その不安で恐れている内容があたかも現実に生じているかのようなダメージが、脳に刻み込まれることになるのです。
そして、適切に問題を解決するための対応ができなくなってしまいます。
怒りにしろ不安にしろ、それらの感情に飲み込まれてしまうと、いいことは何もないのです。
先に書いたように、感情には意味があります。
その意味を理解して、生じてくるネガティブな感情を味方にするすべきなのです。
感情を味方にする方法
向き合う決意をする
湧き出てくるネガティブな感情から逃げずに、そのネガティブな感情に向き合うことが必要になります。
ネガティブな感情に向き合おうという決断をしなければなりません。
まずはネガティブな感情に向き合うことで、はじめてネガティブな感情からの悪影響を少なくすることができるのです。
気づき観察する
ネガティブな感情に向き合う決意ができたなら、そのネガティブな感情そのものが生じているなぁということに気づき、そのネガティブな感情から生じる身体感覚と思考内容を、それらに飲み込まれることなく冷静に客観的に観察することがポイントとなるのです。
ネガティブな感情を観察する
いま、怒りが湧き出ているとか、
いま、不安になっているとか、
いま、落ち込みが酷くなっているとか、
etc.etc.
いま生じている感情を観察する、言い換えるなら、いま生じている感情が当にいま私の心に生じているなあと明確に意識しましょう。
感情を観察することだけで、そのネガティブな感情に飲み込まれてしまうことがなくなります。
感情に飲み込まれることがなくなればココロが穏やかになって、冷静で客観的な対処が可能となるのです。
感情により生じる身体感覚を観察する
感情を意識して観察することから更に進んで、そのネガティブな感情に伴って生じるカラダの感覚を観察しましょう。
例えば怒りの感情が生じているとき、
胸がむかついてくる感覚があるのか?
頭がカッカする感覚があるのか?
カラダに、肩に、腕に、チカラが入っているのか?
手を握り締めているのか?
歯を食いしばっているのか?
etc.etc.
例えば生じている感情が不安であるなら、
心臓がドキドキしているにか?
息苦しくなっているいるのか?
全身に戦慄が走っているのか?
etc.etc.
こうやってカラダに生じる身体感覚を観察することで、更に感情に飲み込まれなくなるのです。
この時、生じているネガティブで不快な感情から、
逃れようとしたり(不安など)、
押さえようとするため(怒りなど)、
カラダの感覚に意識を向けようとしてはいけません。
不快な感情から無理矢理に注意を逸らそうとすると、それは回避行動となって、逆に感情から逃れられなくなって飲み込まれてしまうものです。
生じているネガティブな感情は、そのままにして、身体感覚を観察する、味わうというようなイメージで行いましょう。
このようにすることで、感情に飲み込まれることが更に少なくなります。
感情により生じる思考を観察する
客観的な根拠に基づかない思考を仏教では妄想というのだそうです。
感情から引き起こされる思考は、感情を正当化するような妄想を生み出します。
例えば、配偶者(夫や妻)があなたの問いかけを無視してテレビを見続けたとします。
このとき、配偶者は単にテレビに夢中になってあなたの問いかけに気づかなかっただけかも知れません。
ここで怒りの感情が出たとするなら、脳は、配偶者があなたの問いかけに気づいているのに無視したのだという妄想を作り出してしまうのです。
不安の感情が生じた場合は、根拠もなしに配偶者があなたのことを嫌っているのではないかという妄想を生み出しているのです。
わたしのことを嫌いになったから問いかけに返事しなかったんだと。
ただテレビに夢中になって、あなたの問いかけに気づかなかっただけなのにです。
ここで自分に生じている思考内容を観察して、確認してもいないのに、客観的な根拠もないのに、無視しているとか嫌いになっただとかいう妄想が生じていると気づくことが重要になります。
思考を観察することで、思考や感情に飲み込まれることがなくなるのです。
感情や思考に飲み込まれることがなくなれば、苦悩から解き放たれることになるはずです。
感情、身体感覚、そして思考を観察する習慣を身に着けてみてはどうでしょうか?
きっと、ココロが穏やかになってくると思います。