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不安から解放される方法

不安から解放される方法

不安

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不安とはどのようなもの?

不安とは「生じると困ることが、生じていないにも関わらず起こってしまったらどうしよう」と思い悩むことです。大辞林第三版によれば不安とは漠とした恐れの感情であり、恐れとはブリタニカ国際大百科事典小項目版には、有害ないし危険な事態に対して有効に対処することがむずかしいような場合に生じ、恐れの対象が不明確な場合の恐れを不安というとしています。ちなみに、恐れの対象が明確な場合は心配と言います。

不安の対処法について

心配なことを考えるのを止めようとすると、一瞬は考えるのをやめることができるものの、すぐにまた考えるようになって余計に考えたり、繰り返し考えてしまうようになるものです。

今、自分は心配なことについて考えているということに気づいて、考えるのを止めようとも逃れようともせず、そのままにして、今すべきこと、今考えるべきことに思考を移すことが大切です。

また、不安や心配なことを考えるのであれば、その考え方にちょっとしたスキルを持って行うことが大切になります。ここではそのスキルについて書いています。

「考えていることは真実である」という無意識の信念に気づこう!

不安に飲み込まれている人は、自分の不安な考えが真実であると無意識に思い込んでいます。これが「考えていることは真実である」信念です。

まずは、考えている内容は現実に生じているのではなく、頭の中で妄想しているだけのことであると気づくことが不安を対処するための第一歩になります。

妄想していると気づいて、考えている内容と現実とは違うものであると自分に言い聞かせましょう。考えている内容に心が飲み込まれてしまうと、あたかも考えている内容が現実に生じているかのように脳は認識してしまうのです。

さらに悪いことには、明確に意識されはしないのですけど、最悪の結果が生じるのだ!との前提で脳はストレスを感じてしまいます。

最悪の結果分析と問題解決スキルの実行

妄想であると気づいた次に行うのが「最悪の結果分析」です。脳は無意識に最悪の結果が生じるのだ!と認識して不安を増幅させます。

まずは、その最悪の結果を明確に言語化しましょう。言語化とは、漠然と不安になっている内容を言葉で表現できるよう明確にすることです。

言語化するためには自分の頭の中を観察しなければなりません。観察すること自体が不安に飲み込まれてしまうことを防ぐことにもなります。

不安に飲み込まれることがなくなると、不安が不安を呼ぶ、言い換えれば「自分が不安であることを根拠に不安なことが生じるのだ!」という間違った信念を打ち砕くことになるのです。

最悪の結果の内容の細分化

最悪の結果を明確にした次のステップは、最悪の結果を細分化して小さなパーツに分ける作業です。細かいパーツの1つ1つについて、それが対策可能か?対策不可能か?について評価します。

例えば極端な例を挙げると、「新型コロナウイルスに感染したらどうしよう」→最悪の結果は「新型コロナウイルスに感染して呼吸ができなくなって苦しみながら死んでいく」になるでしょうか。これを細かいパーツに分けると、

  1. 新型コロナウイルスに感染すること
  2. 重症化すること
  3. 呼吸ができなくなること
  4. 窒息の苦しみを味わうこと
  5. 死に至ること
    となります。この他の分け方もあるでしょうが、どのように分けても構いません。

これらを対処可能なことか対処不可能なことかを判定するのが次のステップです。対策可能なパーツについては、何パーセントくらい対策可能か数値化していくのですけど、これは次の次のステップで行います。とりあえずは対策可能か不可能かを判定していきましょう。

1)新型コロナウイルスに感染すること
これについては対策は可能ですね。100%完璧に感染を予防することはできませんが、感染リスクを少なくすることはできます。

2)重症化すること
これは対策できそうにないようにも思えるのですが、自分の免疫力を高めておくことで少しは対策できるはずです。ですから対策を具体的に考えるパーツになります。

3)呼吸ができなくなること
これも対策が可能なパーツです。重症化させないようにするのが対策になります。

4)窒息の苦しみを味わうこと
これも上の2つと同様、対策可能パーツです。対策は重症化させないこと!になります。ただ、新型コロナウイルス感染症では重症化しなくても呼吸苦は生じるので、窒息の苦しみを味わわないようにするためには、感染しないようにすることが究極の対策ですね。

5)死に至ること
これも重症化しないことについての対策が対処法となるので、対策可能パーツになります。はめは軽症であった者がサイトカインストームなどで死に至るケースもあ流のですけど、サイトカインストームの予防策は分かっておらず、死ぬということに対する対策を確実に行うことはできません。これは他のパーツについても同じですが、他の全てのパーツに対する対策を集約したものが死に至ることに対する対策です。間接的な対策しかできないとも言えるでしょうね。

パーツをさらに小パーツに分けて対策の可能不可能を判定する

100%の完璧な対策を行うことは出来ないので、1つの対策可能なパーツの中身をさらに小パーツに分けて、それぞれが対策可能か不可能かを判定しましょう。

直上の「死に至ること」という不安のパーツであるなら、「死に至ること→重症化して死に至ること+サイトカインストームが生じて死に至ること+細菌感染や他の臓器の病気が発生して死に至ること+医療ミスで死に至ること+病室に旅客機が墜落してきて死に至ること+etc.etc.」などですね。

ちょっと極端な例を混じえているのはお許しいただくとして、それぞれの子パーツについてパーツに対して行なったのと同じように対策の可能不可能を判定します。

1)重症化して死に至ること
重症化の予防が対策となるので対処可能な子パーツですね。

2)サイトカインストームが生じて死に至ること
これには対処法がないので対策不能な子パーツになります。

3)細菌感染や他の臓器の病気が発生して死に至ること
これも対策できそうにありません。できるだけ医療レベルの高い病院に入院させてもらうという対策がありますが、入院先を自分で選ぶことはできません。軽症の時点で病院を選んで受診しても、重症化して救急車で運ばれるときに受診している病院にベッドが空いていなければ他の病院に運ばれることになります。入院したい病院に入院できるかどうかは神のみぞ知るということですね。

4)医療ミスで死に至ること
これも上の子パーツと全く同様ですね。

5)病室に旅客機が墜落してきて死に至ること
これはほぼ100%対策不可能ですね。

対策について問題解決法を考える

可能不可能分析の次は対策を具体的に考えていきます。そして対策を考えてからそれぞれのパーツや子パーツの対策は何パーセントくらい対策可能性があるのか数値化します。上に示した子パーツで例を挙げると、

1)重症化して死に至ること
先に示したように重症化の予防が対策ですから、重症化のリスクが高くなるのは、[1]高齢であること [2]基礎疾患があること [3]肥満であることetc.etc.です。年齢はどのようにも対処できません。より健康な身体を保つことくらいしかできないですね。

そのためには十分な睡眠、適切な栄養摂取、適度な運動、規則正しい生活リズム、良好な人間関係、社会的な役割で得られる充足感といったことが対策になります。

これらの対策の実行可能性と、理想的な対策を行ったとしても重症化を防ぐのは運任せ的な要素が大きいので、重症化する(結果として死ぬ可能性が高まる)ことへの対策可能性はよくて15%くらいでしょうか?このパーセントは直感的に決めて構いません。

しかし、ここで大切なことは「重症化して死んだらどうしよう」と心配する暇があるなら、上にあげた運動など実行可能な対策に着手することです!悩む暇があるなら行動せよ!ですね。

2)サイトカインストームが生じて死に至ること
先に示したようにサイトカインストームを発生しないようにすることの対策可能性は0%!です。

対策できないことに悩むということに何のメリットもありません。メリットがないどころか思い悩むことでメンタル面が悪化して免疫力も低下します。デメリットしかないのです。

対策が不可能なことに悩む暇があるなら、対策可能なことを実行するための計画を立てて、それをスケジューリングして実行していきましょう!

3)細菌感染や他の臓器の病気が発生して死に至ること
これも先に述べたように、できるだけ医療レベルの高い病院に受診しておくくらいしか対策はありません。この対策を行ったなら後はすることがないので、直前に書いたように対策可能なことを実行すべきですね。

4)医療ミスで死に至ること
これも上の子パーツと全く同様です。運よく医療レベルの高い病院の外来に通院できるようになったら、あとは重症化したときに受診している病院に入院できることを祈るのみです。

それ以外にできることがないのですから、思い悩まず対策できることに全力を傾けましょう。繰り返しになりますが、対策できないことを思い悩んでもいいことは何もありません。

いいことがないどころかストレス状態がひどくなってメンタル面を悪くしたり免疫力が低下するばかりです。最悪の場合、うつ病などにならないとも限りません。新型コロナウイルスだけではなくインフルエンザにも風邪にもおたふく風邪にもかかりやすくなってしまいます。もっとも、こんなことを心配する人は殆どいないでしょけど。

5)病室に旅客機が墜落してきて死に至ること
これは超極端な例として挙げましたが、対策不能であることは明白です。核シェルターで生活して仕事をすることくらいが対策ですが不可能です。無駄なことは考えない・・・というより、こんなことは誰も考えないのは明らかですね。

まとめにかえて

不安は究極的には殺される、あるいは死を避けられない状況に対する恐怖です。ですから不安はたえられないのです。動物にとっての不安は恐怖という本能反応でしょが、思考のある人間にとっては、「出来事や状況→対処できないという無意識の判断→死の恐怖に繋がっていく」ということから不安は生じてくると考えています。しかしさらに人間には今述べたように思考という厄介なものがあるのです。

その思考にも、頭に浮かぶ意識できる思考と無意識に思考を制御しているメタ思考、正確にはメタ認知というものがあります。このメタ認知で問題となるのが、「不安は危険である」と「不安はコントロールできない」というメタ認知です。不安があるということはすごく危険であり、しかもその危険なものがコントロールできないものであるから怖くなって、何かものすごく危険なことが生じるのだと恐怖に駆られるのです。

ですから、不安という感情や不安になっている出来事や状況のことを考え続けて不安に飲み込まれてしまいます。不安に飲み込まれてしまえば、不安なことは生じていないにもかかわらず、その不安の原因となる出来事や状況がまさに生じているとか生じることが確定しているというように脳は判断してしまうのです。そしてますます不安に飲み込まれて、不安について考えることになってしまします。さらに、自分が不安であることを根拠に不安なことが生じるとの錯覚を起こしてもっと不安になるという悪循環が生じてしまうのです。これを打破するのがここで述べた方法です。騙されたと思ってお試ししていただければと思っています。

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