dokusyo/2015-12-06
「感覚について〜ヴィパッサナー実践の道しるべ〜」
A.スマナサーラ著。
初期仏教というのは、認知療法の中心技法である認知の再構成に似ている?
その究極版?
認知療法では、解釈の仕方を人間の領域内でより客観化していくが、
ヴィパッサナーでは…
人間特有の思考から離れることが要求される?
全ての感情は、死にたくないという渇愛から生じるとしている。
死にたくない(=生存の可能性を高める利己的遺伝子のニーズ)から、
ヒトは怒り、嫉妬し、欲張る。
死にたくない=苦から逃れたい。
苦=生存を危うくするもの。
感覚=苦+楽+不苦不楽である。
楽→そのまま浸っていればいいので何も考えなくていい。
不苦不楽→何も影響しないので何も考えが生じない。
苦→生存を危うくするので逃れたいという思考が生じる。
だからヒトは苦に敏感となる。
生きている限り、そのままにしておけないのが苦。
楽も、それがなくなることを気にしだすと苦に変わる。
苦から逃れる無意識の前提として感情が自生し、そこに思考が関与して「都合による認識=妄想」が生じる。
妄想は都合のいいような願望=煩悩を促進する。
得られても得られても、直ぐに慣れてしまい飽きてしまって、もっともっと得ようと欲する。
よって願望は満たされ続けることがない。
果てしなく欲求不満が続くことになる。
ですから、
都合による認識を客観的事実のみを見るように変え、
事実を事実以上に解釈しないことが苦からの解放へ、究極的には解脱へと導くのだという。
ちょっと独断的なコメントとなりましたが、
本書は短い本なので読んでみるといいと思います。
ただ、この本だけでは分かりにくいかも知れませんが…