言たか放題/2015-11-02
Tag: ふと考えたこと
面倒なことをしないのは必然?
人は何故、よいと分かっていることでも面倒なことをしないのでしょうか?
まず第一に、行動療法の大原則、つまり…
動物は直ぐに良いことが起こらなければいずれしなくなるという大原則から逃れられないのです。
これは、前に述べた不眠症の例でも同様で、
朝起きて直ぐに散歩に出かけるという行動を行って、
例えばその日から眠れるようになれば、
たぶん朝の散歩を続ける人が多くなるでしょう。
しかし、2日、3日、4日と朝の散歩を続けても眠れる状態に近づけなければ、
他にいいことが生じない限り、誰しも朝の散歩を1-2週間後にはしなくなることは想像に難くないと思われます。
さらに認知的不協和という心理理論があって、
「よいことと分かっている→できない」という不調和な心理的状態になると、
脳(おそらくインタープリター機能が働いて)はこの不調和に耐えられず、
「よい→できない→不調和→耐えられない」から、
「よい→本当はいいとは言えない→しなくてもいい」というように、
勝手に自分の都合のよいように解釈を変えてしまう傾向があるのです。
例えば、イソップ童話の「すっぱいブドウ」というお話を覚えておられる方も多いと思うのですが、そのお話とは、
キツネが、おいしそうなぶどうを見つけ、それを取ろうとするが高すぎてどうしてもブドウを取ることができない。するとキツネは「このブドウは酸っぱいにちがいない」と捨て台詞を吐いて納得して立ち去るというものです。
都合の悪いことや分からないことを、自分勝手な解釈をつけて納得し気持ちを平静に保つ機能が脳にはあるようなのです。
このように、面倒なことをするとき、直ぐに良い結果が得られないと人はよいと分かっていることでも実行し続けることができないのです。
では、この特性を打破するにはどうすればよいのでしょうか?
それはまた、別の機会にいつか書いてみたいと思います。
期待せずにお待ちくださいm(_ _)m