言たか放題/2015-09-09
学び方の誤解
学びに対する誤解と言えるようなものがあります。
学びの目的を、
他人目線で考えるか?
自分目線で考えるか?
という根本的学習の構えの問題がそれです。
他人目線とは、
今まで学校教育で馴らされてきた、テストでいい点を取るための勉強の構えとでもいえるものです。
言い換えるなら、本とか講習から、書いてあることや話された内容を、
網羅的に、
何一つ漏らさず、
全て吸収しよう!
という学びの構えでしょうか。
これは本質的には全く悪いことではないのですが、
読書からの学びという点から考えてみると問題があるのです。
2012年の新刊書発行点数は82200点あり、最多出版社である講談社は2200冊もの新刊本を1社で発行しています。
講談社が発行する本だけでも、全部読むとすると、1日6冊読まないといけない計算です。
1冊平均300ページとするなら1日1800ページ!
1日10時間読みっぱなしで1時間に180ページ、
1ページ20秒のペースで食事も居眠りもせず、トイレにもいかず、10時間読みっぱなしという状態を365日おこなってやっと年間2200冊を読める計算です。
速読の達人ならいざ知らず、通常の読書は週に1-2冊がいいところではないでしょうか?
週2冊として年間100冊程度です。
ちょっと脱線してしまいましたが、
要は、発行される書籍、さらに既にある書籍とくに古典と言われる名著も併せれば、
読みたい本や読むべき本は無数にあるということです。
これら無数の学びの源泉から、他人目線すなわち書いてあることの全てを知って覚えておこうという学びの構えでは、却って学びが少なくなってしまうのです。
1冊の本を、それこそ1ページ1時間も2時間もかけて思索しながら、何回も何回も繰り返し読む本に巡り会えれば、本当にラッキーであり人生が変わるかも知れません。
そのような本は、じっくり読みましょう。
しかし、そのような本は稀有の存在でしょう。
多くの本は、
そこから1つ学びが得られればOKではないでしょうか?
娯楽のための読書であれば別ですが、
特に何か学びたい目的がはっきりしているときには、
普通の本に何時間もかけるのは時間の無駄、人生のリスクになると思います。
何故なら、学び倒せるほどではない普通の本を長い時間をかけて読めば、得られるものはそうないのに、他の本を読んだり思索したりする時間がなくなるからです。
そうならないためには、
目的と異なる興味ある項目があれば、付箋を貼るかページの角に折り目をつけて後で読むようにし、
とにかく目的の学びを得る情報収集に専念しましょう。
そして、目的関連の多くの本を読んで、色々な考え方を吸収し、思索し抜いて思索し抜いて思索し抜いて、
そして、疲れ切って、諦めたあとの、
ふとした瞬間にイノベーションともいえるアイデアや発想が浮かんでくるのです。
学び方の構えについて、もう一度ふり返って見つめ直してみるのはどうでしょうか?