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dokusyo/2015-08-06

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Tag: 読書 書評

D.チャーマーズ「意識する心」

哲学者の考える意識の論理。

著者の論理的立ち位置は、

①非還元論を支持し意識は何故どのようにして生じるかを問わず、意識はあるものとして考える。

②汎心論的で、精神物理法則に基盤を置く二元論をとる。

③サーモスタットのような単純なシステムにも、我々が想像できるようなものではない原初的意識があるとする。

④コンピュータにも心が宿るとする立場をとる。

⑤量子論のエヴェレット解釈は、感情的にはけっして受け入れられないが、真であるある可能性を否定すべきでないとする。

⑥意識あるところに気づきあり、気づきあるところに意識あり。

⑦著者の意識論

  • 1)意識は物理的な要因に還元できず、根底にあるものとする。
  • 2)意識あるところに必ず気づきがある。
  • 3)逆もまた然り。
  • 4)行動するため情報を直接利用できるなら気付いている。
  • 5)ある刺激の情報により多種の行動がなされるなら情報への知覚体験がある。
  • 6)ある刺激の情報が1つの行動しか湧出しないなら知覚体験はない。
  • 7)ニューロンをシリコンチップに入れ替えても、ある機能構成が上手く働くならある種の意識体験が伴う。
  • 8-1)ネズミには自己感覚や内省する力はないかもしれないがネズミなりのクオリアをを感じるだろう。
  • 8-2)サーモスタットにさえ通常と異なるヒトに完全には分かっていない原-経験というような特性があるだろう。
  • 9)主体は全体としてのシステムに宿る。
  • 10)因果的な相互作用あるところに情報があり、情報あるところに経験がある。
  • 11)意識体験は、脳にある物理的特性に対応するミクロな特質の総和を超越したものである。

【私見】
①著者の意識理論はよく分からない部分もあるが、これは私が哲学に疎いためかもしれません。

②哲学的ゾンビは、外部から意識を持たないという観測測定ができないのであるから、意識があるとみなすべきであろうと思う。

③中国語の部屋も哲学的ゾンビと同様の思考実験であるが、これも同様、外部からの観測測定では、意識あるものと同様の反応があるのであるから、観察者側からは意識があると判断されるのではないでしょうか?。

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