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言たか放題/2015-07-10

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Tag: ふと考えたこと

アルジャーノン一考

6月12日まで「アルジャーノンに花束を」の日本版番組が放送されていました。

原作とはかなり内容が異なるので、何年かぶりに原作(邦訳ですが…)を読み直してみました。

うろ覚えの内容とは違って、随分と中身の濃い作品であることに気づきました。

色々なテーマが織り込まれていて改めて深い作品であると感嘆させられてしまいました。

織り込まれているテーマは、私が読み取れる範囲では次のようなものでしょうか?

「真実を知って苦悩するか?」「無知であるが幸せな世界に生きるのか?」

「元のチャーリー(主人公) と天才のチャーリーは、同じ同一性を保っているのか?別人格であるのか?」

「母のチャーリーへの愛は本当になかったのか?」

「チャーリーの性、知的障害者の性というものをどう考えるか?」

etc.etc.

ここではチャーリーの母の愛について考えてみたいと思います。

日本版テレビ番組では、チャーリー(日本版では咲人)の母の描写を扱いかねていたような印象で、深みに欠けていたように思われました。

原作を読んでいくうち、チャーリーの母はなぜチャーリーを家から追っ払ったりしたのだろう?という疑問が湧き出てきます。

ただ単に、我が子に身体障害や知的障害があるからというだけで、我が子を忌み嫌う母親など殆どいないでしょう。

実際、障害を持った子供さんを授かった親、特に母親は、厳しくはあるものの慈しみの情が深い人が殆どであるからです。

さて、原作を読んでいくと、チャーリーの知能の向上前後の母の記憶の描写から、こんなにも拒絶的になれるのだろうか?という面と、しっかり良識を持って普通に愛ある教育をしているじゃないか!という2つの母親像が読み取れることに戸惑いを感じることとなります。

時に書き表される、チャーリーが母から授けられらた教訓のエピソードは、母親の愛のメッセージをうかがわせているように思われるのです。

物語の後半で、チャーリーが母と妹に再会する場面で、その疑問が統合されます。

チャーリーの性に関連する領域に、母の行動の必然性を読み解く鍵があるようなのです。

チャーリーも悪くない、母親も悪くはない、妹も悪くはない、誰も悪くはないということが、ここにきて初めて種明かしされることになります。

この物語は、著しく切ないけれども、実は悲しいハッピーエンドの物語ではないかと思えてしまうのです…

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