言たか放題/2015-09-02
Tag: 映画
クイルの思い…
映画ガーディアン オブ ギャラクシーを観た方々はどう解釈しているのでしょう?
映画の始まりのワンシーン。
主人公のピーター・クイルの母が病院のベッドに横たわり、
今まさに死に往こうとしている。
死のまさにその寸前、
死にゆく母からクイルに形見のプレゼントが渡され、
母はクイルに自分の手を握るように手を差し出す。
Take my hand!…
しかし、クイルは泣きながら顔だけ横に向けてただすすり泣くだけである。
母の手を握ろうとしない。
程なく母はこと切れる…
クイルは絶叫し泣き続け、祖父から外に連れて行かれる。
1人で泣き続けるクイル。
ここでヨンドゥ率いる宇宙盗賊ラベジャーズに拉致され、ヨンドゥにより育てられるようになるというのが、物語の始まりです。
そして、映画のクライマックス。
惑星をも消滅させることのできる破壊エネルギーを秘めたオーブ、
それを使う強者以外の全てを破壊するパワーを持つインフィニティ・ストーンというエネルギー物体を使って、
惑星を破壊しようとするロナンという悪者宇宙人から、
オーブを策略で奪い返す。
しかし、この時、オーブのエネルギーで破壊されそうになるクイルに、
ヒロインのガモーラが、
Take my ha---nd!
と叫ぶ。
クイルは、死の間際に母が懇願した
Take my hand…
という母の幻影を見る。
クイルは母に向け頷き、ガモーラの手を握る。
オーブのエネルギーは彼ら(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)により制御され惑星破壊が防がれることとなる。
というのがストーリーです。
映画のはじめに戻って、
クイルは、母の死に際、ナゼ母が差し出す手を握り返さなかったのでしょうか?
私は、このシーンを最初に見たとき、
思わず、クイル!早く握ってやれ!死んじゃうじゃないか!間に合わなくなるぞ!
と、心の中で叫んでしまいました。
しかし、何回も観直す中で、
クイルは、
母の死を受け入れられなかった、
あるいは、手を握らないことで母が天に召されないよう、子どもなりに運命と対決していたのだというように感じるようになってきました。
日本で昔から、戦争で死に往くとき、
お母ーさんと男は呟くと言われます。
一方で、母とを含む近親相姦を忌避する心性は、人間だけではなく多くの哺乳類に本能的に備わっています。
もっと詳しくは、幼いときから一つ屋根の下で育った個体は恋愛感情が生まれ難く、性的交渉を忌避するというような発達が誘発されるのです。
男性の場合、母への希求と近親相姦忌避の統合が、母性性を持った異性(女性)への性愛対象の移行ということになるのかもしれません。
つまり、母への希求→成長→生殖性の確立→近親相姦忌避本能→母以外の異性希求→母からの自立→母の死の受容→遺伝子の伝承、というような流れに沿うプロセスを辿るのではないでしょうか。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーに戻って、
最後の最後で、
主人公のクイルは母の死を受け入れ、
新たな愛の対象を確認し、
そして、苦悩してきた自らの運命を了とし、
未来への歩みを本当の意味で再始動しはじめたのではないでしょうか?
単なるSF映画とて、見方によっては微妙な人間心理が反映されているかもしれませn。
なお、ヒロインのガモーラ役のゾーイ・サルダナは、アバターのヒロイン(ネイティリ)を演じていました。