イライラ一考
イライラ一考
イライラという症状はありふれた症状、いや、症状でなくとも普通に生じる感情。
上司に部下にマナーの悪い車や自転車に、ちょっと腹の立つことは多い。
でも、イライラとは少し毛色が違うような。
イライラは、できない自分か、すればできるはずなのにできていない比較的近い関係の人に対して生じるもの。
言い換えると、コントロールの及ぶ対象にしか生じない感情がイライラ。
自分へのイライラは自分で自分を変える決断ができれば容易に対処できる。
しかし、近親者に対するイライラの場合は、そう簡単にはいかない。
他者に対するイライラの構成要件を分析すると、
1)相手に自分が気に入らない行動言動があること。
2)それは、相手が変えようと思えば変えられる、もしくは相手は分かっているのに変えようとしないでいると自分が認知していること。
3)相手に変わってほしいという願望があること。
4)相手を思うようにコントロールしたいという意識下の欲求があること。
これらの要件が揃うとイライラは顕在化してくる。
しかし、近親者も人すなわち感情の動物。
無理矢理強引に力任せで変えようとしても、それこそ売り言葉に買い言葉状態となって、事態はますます悪化するばかり。
近親者への怒りの後は、罪悪感が生じてくるもの。
罪悪感を感じたあとは、反動で被害的になり、イライラが怒りに変質してしまう。
でも、怒らないよう努力すると、今度は苦しくなって無力感や虚しさ淋しさなど、「うつ」の傾向が現れはじめるかも。
対策はいくつかある。
アサーティブに、というのも良いかもしれない。
アサーティブとは、物凄く大雑把にいうなら、柔らかく言うこと。
柔らかくというのは次のような前提のもと、
1)あなたにはあなたの生き方があり主張する人権がある。
2)同じように私には私の価値観があり私も意志を伝える人権がある。
3)感情的にならず、
4)ゆっくりと穏やかな口調で、
相手に変えてもらいたいことについて、自分の考えを述べてお願いするというもの。
これで相手もマイルドになって大抵のイライラは解決するはず。
ただし、言うは易く行うは難し…ですけど。