日記とツイッター
日記とツイッター
日記とブログやツイッター、似て非なるもの?
荒川洋治さんの「日記をつける」という本(電子ブックですが・・・)を読んでいて、ふーんとなるほどと思える記述に出会いました。
「日記は本来自分のことを書くのだから、私のことは私が一番よく知っているという気持ちでつけられていくものである。自分だけが知っていること、気づいていること。それらがおおいばりで活躍する。それが日記だ。その『私』はそれほどりっぱなものでなくてもいい。どんな『私』でも、『私』がいれば日記は成り立つ。一個の『私』を、このもやもやした世界のなかから、もやもやした自分のなかから取り出していくためにも日記は欠かせないものだと思う。」(引用)
日記は本来、きわめて『私』的なもの。
人に見せないという前提で書かれているのが普通ではないでしょうか。
ブログにはじまり、今はツイッターやフェイスブック。これらも、それぞれ違いはあるものの、私的なものですが、他人から見られるということを前提としているのが日記との大きな違いでしょうか。
公開されるものということを、どこかで意識したところがあるかもしれません。
わたしも、OhLIfeという完全非公開の記録を日記代わりに書いています。ツイッターもサボリ気味ですがしています。簡易ブログをクリニックのホームページでつけています。
改めて眺めてみると、OhLifeでは、結構赤裸々な内面をつづることがあります。
でも、ブログやツイッターでは少々かしこまった内容になっているのに気づきます。
「私」という社会的なペルソナを、開放できる、「私」を「わたし」という自由世界へ「解放」する道具としての日記を、見なおすこともいいかもしれませんね。